ゲームセンターCX第7回「ギャラガ」ナムコ

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第1シーズン

今回は多くの有名シューティングを世に出したナムコへ有野が潜入。

伝説のクリエイター遠藤雅伸やパックマン生みの親である岩谷徹へのインタビューは必見。

挑戦コーナーでは有野が苦手なシューティングに挑戦。

はたして苦手克服なるか?

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見どころ

ゼビウスを生んだ伝説のクリエイター遠藤雅伸の考え方を知ることができるのはやはり見どころ。

パックマンを作った岩谷徹の話も見逃せない。

挑戦コーナーではシューティングの苦手な有野がギャラガに挑戦。

果たしてクリアなるか?

あらすじ

クリエイターズインタビュー

ゼビウスに挑戦

今回は、インタビュー前にゲームセンターにてゼビウスに挑戦した有野。

ゼビウス(1983年)

もはや伝説と化している、シューティングゲームのいしずえともいうべき作品。

独特の世界観を持つストーリー。
色鮮やかな枠と豊富なキャラクター。
マニア心をくすぐる数々の隠し要素。

すべてが斬新勝つ新鮮で、多くの人に衝撃と興奮を与えた。

このゲームなくしてシューティングは語れない。

 

懐かしさに浸りながらプレイする有野。しかし・・・

有野課長
有野課長

もっと上手かったはずやのになぁ・・・

すると、ここである人物が登場する。

ゼビウスを作った遠藤雅伸だ。

遠藤雅伸

1959年東京出身。
ナムコ入社後、1983年「ゼビウス」の制作に中心的に携わる。

そのご、「ドルアーガの塔」、「イシターの復活」などを手掛ける。

1985年に独立し、ゲームスタジオを設立。

その後もディレクター、プロデューサーとして活躍した。

インタビュー前に、遠藤もゼビウスをプレイすることになった。

10年ぶりとは思えない華麗な手さばきを見せる。

そして、アンドアジェネシス登場。

難なく見事に撃破した。

その後場所を移動して遠藤へのインタビューを開始した。

なぜ頭文字がX?

ゼビウスはゲーム上の表記として「XEVIOUS」と書く。

頭文字の「ゼ」はなぜ「Z」ではなく「X」だったのか?

それは、当時コピー機などのメーカー「Xerox(ゼロックス)」やピンボールの「Xenon(ゼノン)」がXで始まる表記だった為、遠藤もそれを取り入れたいとXから始まる表記となった。

新入社員で制作

かなりの驚きだが、ゼビウスはなんと、遠藤が新入社員として最初に作ったゲームだった。

有野もかなりびっくりしていたが、もちろん新入社員に会社が大きなプロジェクトを託すはずがない。

そのプロジェクトは元々ゲームの内容自体は決まっており、それを実際のゲームとして作り上げるのが遠藤の仕事だった。

遠藤は自由にできる範囲で、全身全霊を注ぎゼビウスの世界観を作り出していった。

ゼビウスとは?

設定は、グランドクロスが元になっていた。

グランドクロスとは、太陽系の惑星が太陽を頂点にして地球を中心に巨大な十字架を描く状態のことを言う。

4番目の星の名前からゼビウスという名前になったという。

ちなみにソルバルウとは、太陽の鳥を意味したものだった。

制作上大事にしたこと

制作する上で、ゲーム内の文化を大事にしようと考えた遠藤。
最もわかりやすい文化といえば、言葉であるということから、ゼビ語を作ったという。

そして、ゲーム内の世界観をより深いものにしていったという。

ゼビ語もかなり多くの言葉が作られたため、社内ではゼビ語辞典まであったという。

ゲーム制作のきっかけ

「俺が遊びたいけど、まだ世の中に無く、誰も作りそうに無いから自分で作る」

この考え方がゲームを作ろうと思ったきっかけであると遠藤は答えた。

とてもシンプルだが、中々できることでもない。

なぜナムコへ?

もともと、ギャラシアンやパックマンを良いゲームだと思っていた遠藤は、作っている会社がナムコと知り、入社を決めたようだ。

研修でモノレール

当時、ナムコの研修では、デパートの屋上にあるモノレールの運転を行うという研修が行われていたらしい。

当の遠藤も運転したという。

この研修の経緯は、社長がもともとデパートの屋上の営業などを行っていたところから会社が成長していったことも理由のようだ。

その研修では、実際にお客様からお金をいただき、挨拶をして乗ってもらい、お客様が帰っていくときにはありがとうございましたと、しっかり接客を行うもので、顧客とのつながりを直接感じることのできる大切な研修だったと遠藤は語る。

そこで、有野は、「ゲームを作りたくて入ったのにそういう研修があって実際はどう思ったのか?」と尋ねると「それはそれで実は面白かった」と遠藤は答えた。

モノレールの運転から学ぶことは多かった。

そこから、どうやって遊ぶ人を喜ばせようかというのは常に考えるようになったようだ。

自身のゲームが完成して市場に出たら、必ず見に行ったという遠藤。

ゼビウスのときも、ゲームセンターに行って100円玉を積み重ねて一生懸命プレイする人を見たときは涙が出そうになったと語った。

鉄板は破壊できる!?

「256発撃つと鉄板が破壊できるといううわさは本当なのか?」と有野は遠藤に聞いてみた。

まぁまず、256発は撃てないと思いますと切り出した遠藤。

そして、実は256発撃っても壊れないことを明言した。

物理的に256発間に合わないということよりも、そもそもプログラムで何発当てても壊れないように設定していたという。

隠れキャラの真相

遠藤は、隠れキャラについても詳細にその経緯を教えてくれた。

例えばソル。

地面には照準が照らし出されるシステムがあるのもゼビウスの大きな特徴のひとつ。

その照準が光ったら、ソルが潜んでいる証拠。

そこへ、ブラスターを撃ち込んだら隠れキャラのソルが現れるというもの。

これは、もともと照準が地面に映し出されるなんていうことは、リアリズム的に考えればありえないこと。

それを逆に利用して面白い遊びができないかと考えた遠藤。

敵に照準が合えば、点滅するシステムだが、どうやら敵がいないところでもたまに点滅するぞと、気付いた人は、そこを撃ってソルが現れることで面白がってくれるのでは?という戦略のもと出来上がったシステムだったのだ。

スペシャルフラッグの真相

スペシャルフラッグはソルとは違い、本当に急に現れる隠し要素である。

有野は川沿いに多いと聞いたが?と経験則から遠藤に尋ねる。

すると、あれは水辺に出るといううわさをたてたかったと語った。

少しうわさを立てればみんなが水辺をバシバシ撃つのではないかと考えた遠藤。

実際にプレイヤーたちがこぞって水辺を撃っていたのを見て遠藤はしてやったりだったそうだ。

ゼビウスのゴール

ゼビウスにはゴール、つまりエンディングがあるのかと、有野は遠藤に尋ねてみた。

すると、終りはないとのことだった。

しかし、996万点を超えると、以降点数を上げるたびに一機ずつ増え始めるというバグがあったらしい。

それは、当初発売の段階で、1,000万点を超えるプレイヤーは出ないと考えていたからだった。

しかし、その予想に反して、1,000万点を超えるプレイヤーが現れたという。

ゲームセンターの筐体機で6時間ぶっ続けでプレイした動画が送られてきて驚いたと遠藤は語る。

そのプレイには数千円かかったらしい。

一番のこだわり

せっかく100円使って遊ぶのにすぐやられてしまったらつまらない、ということを考えて、下手な人には優しく、上手い人には難しく設定したという遠藤。

視聴者も有野もハテナだったことだろう。

それは実は、その当時ですでにAIが仕込まれていたのだという。

ようやく発展してきて度々AIという言葉が出てくるようになった今日だが、その当時から考えていたというのはやはりすごい。

ゲームの進行状況や得点などを考慮し、上手いかそう出ないかを判断して、難易度を変える設定がゲームに内蔵されていた。

遠藤は当時の基盤を今も大切に保管していた。

点数画面の名前

ゲームの初期状態のランキングには既に名前が入っているが、一体誰の名前なのか?と有野は尋ねてみた。

すると、あれは遠藤自身や奥様など身近な人の名前だった。

当時、ゲームのランキングに名前を入れる際はアルファベット3文字が主流だった。

3文字ではつまらないということで、仮に社長の名前「M.Nakamura」だと10文字になるので10文字入るようにしたということだった。

ちなみに、1位が社長で、2位が奥様(当時彼女)、3位が遠藤自身の名前が入っている。

遠藤といえば、ドルアーガの塔でも有名だ。

ドルアーガの塔

世界中のゲーム好きを、宝探しに夢中にさせたドルアーガの塔。

主人公ギルが敵と戦いながら全60階の迷路を進み、囚われた恋人カイを救いだす、RPG風アクションゲーム。

宝箱の謎解きが話題を呼んだ名作。

名前の由来は?

ドルアーガとはどういう意味かと有野は尋ねてみた。

すると、ドルアーガはメソポタミアの悪魔の名前であるということだ。

ギルという主人公の名前はギルガメッシュからきており、同じくメソポタミアの英雄の名前だった。

スライムの立場を悪くした?

ドルアーガが日本で最初のRPGといわれている。

そこには、スライムというモンスターが登場するのだが、その登場こそ、スライムにとって日本での立場を悪くしたきっかけだったと遠藤は語る。

西洋生まれのスライムは、本来剣では切れないとても強い妖怪だったという。

ぷよぷよした可愛い動きからも、ギルが簡単に倒してしまえることからも、弱い敵として認識されるようになった。

そこへ来てドラゴンクエストである。

最初に登場する弱い敵の代名詞でもあるのがスライムだ。

このように、日本ではスライム=弱い敵という立場がいつの間にか確立されることとなったのだ。

60階という設定はなぜ?

60階にしたのは単純にその当時サンシャイン60が一番高い建物として有名だったからとの事。

宝箱の出し方

ドルアーガの塔は普通では考えられないような方法で宝箱を出現させなければならない場面などもあった。

斬新かつ理不尽でもあった宝箱の出し方に多くのマニアが翻弄され話題となった。

遠藤いわく、いろんなことをやった後に、今までやってなかったことをやろうと考えそういった難しい出現方法なども取り入れてしまったという。

岩谷との関係

ナムコの先輩岩谷とは、かつて共に切磋琢磨した仲だったという。

仕事中は本当にケンカばかりしていたが、仕事が終わると呑みにいくらしい。

岩谷もゼビウスの開発には関わっていたようだが、主にナスカの地上絵とグランドクロスを取り入れようと言ったのが最大の功績だと遠藤は語る。

ゲームクリエイターにとって必要なことは?

いろいろなことを勉強することが大事だという。

いつもチャレンジ精神を忘れない遠藤はなんと、40を過ぎてスノーボードにも挑戦したと語り、有野を驚かせていた。

遠藤にとってゲームとは?

「ゲームとは一番の娯楽である」

遠藤にとってゲームは趣味であり、仕事でありというのが基本のスタンスだという。

岩谷徹

パックマン生みの親。

パックマン

今やナムコの顔とも言えるワールドワイドで人気のアクションゲーム。

かわいいキャラクターとレバー1つ簡単操作で、幅広い層に人気を博し大ヒット。

名作パックマンの誕生秘話に迫る。

岩谷徹について

1955年東京出身。

1977年、中村製作所(後の株式会社ナムコ)入社後、オリジナルビデオゲーム第一弾「ジービー」を制作。

その後、「パックマン」、「リブルラブル」などを手掛け、新規事業のマネジメントなども担当した。

パックマン制作のきっかけ

当時はまだファミコンなど家庭用ゲーム機は主流ではなかった。
ゲームといえばゲームセンターという時代。

きっかけは、ゲームセンターに女性の顧客を取り入れたいという計画からだった。

当時ゲームセンターといえば、男性が行くところであった。

もし、そのゲームセンターに女性も来るようになれば単純計算顧客が倍増することになる。

それでは、女性にヒットするゲームとは何か?と考えたときに、出てきたアイデアが「食べる」というキーワード。

「何かをやっつける」というゲームが多い中、「何かを食べる」というゲームであれば、女性にも受けやすいのでは?ということから食べ物中心に構想を開始。

あるとき、昼食を取っていた岩谷。

食べていたのはピザだった。

丸いピザの一片を取ったら口を開いている顔のように見えたのだ。

これをキャラクターにして、何かを食べていくゲームどうだろうというところからパックマンの形が出来上がった。

ちなみに、パックマンが黄色なのは、食べていたピザが印象的だったからじゃないかとのこと。

パックマンの設定

パックマンが食べているのはエサだと言われているが、本当はクッキーだという。

クッキーが大好きなパックマンとおばけたちが取り合いをするというのがゲームの設定だった。

ちなみに、たまに出てくるフルーツはデザート感覚で用意したらしい。

カラフルなモンスターを開発

開発段階で社長にゲームをプレイしてもらうというプレゼンを行ったときに、カラフルなモンスターを見た社長が「色がごちゃごちゃしていてどれが敵だかわからない」と苦言を呈されたようだ。

そこで、社長から「敵は赤一色にしろ」という命令が下った。

カラフルにしたかった岩谷は、悔しかったがその場で言い争っても仕方が無いと、いったん検討すると引き下がった。

どうしても納得のいかなかった岩谷は、その日のうちに開発部全員からアンケートを取った。

40対0でカラフルなモンスターが良いという結果が出たところで翌日社長にもう一度面会を申し入れ、その結果を突きつけた。

そして、なんと社長を説得しカラフルなモンスターで市場に出すことを納得させたのだった。

モンスターの特徴

カラフルなモンスターにはそれぞれ特徴が存在した。

素早いもの、遅いもの回り込むものなど設定することによって、パックマンを取り囲むように設計されているという。

モンスター大図鑑

赤「オイカケ アカベエ」

パックマンを執拗に追いかけるモンスター

ピンク「マチブセ ピンキー」

常に先回りをし、パックマンを待ち伏せるモンスター

水色「キマグレ アオスケ」

その動きは全く予測不可能なモンスター

黄色「オトボケ グズタ」

動きはゆっくり。だがどこか憎めないモンスター

一番苦労した事

ある程度完成はしたが、スリルもないし、どこかイライラするゲームだと考えた。

元々はもっとゆっくりなゲームだったパックマン。

プログラムのある事柄を調査する作業で、効率が良くなるようにと、速度を上げてプレイしたところ、こっちの方が面白いと、もともとの速度の2倍になったという。

成功の秘訣は?

実は思わぬところでヒットしたのが成功の秘訣だった。

当初の計画通り女性をゲームセンターに引き込むというものは成功した。

しかし、それよりも、アメリカ・ヨーロッパでの人気が爆発したのだった。

マイファーストゲームといわれる最初にやったゲームについて、当時日本ではインベーダー、アメリカではパックマンと答えるようなゲームとなった。

パックランドが生まれたのは?

パックマンがアメリカでヒットしたときにアニメ化されたという。

内容は、パックマンがヒーローで敵であるモンスターとのドタバタ劇を繰り広げるというものだった。

なんと、それが最高視聴率56%をマークするほどの人気番組になったのだ。

そのときできたキャラクターをゲームに落とし込むことで手足の生えたパックマンが誕生したという。

パックマンの歴史

パックマン

まだ、表情一つ無い黄色だけで構成された、オリジナルのパックマン。

パックランド

アーケードでも大ヒットとなった手足の生えたパックマンが駆け回るパックランド。

パックマニア

擬似3D化されたことで、ジャンプが可能となりモンスターを飛び越えることができるパックマニア

パックマンワールド20thアニバーサリー

パックマン生誕20周年を記念して発売の完全に3D表現となったパックマンワールド

ボツ企画

9割できていたのにボツとなってしまった作品もあるという。

まさに市場に出そうとしたときに、全く同じ内容のゲームが他社から発売されてしまったという。

そのゲームはかたくなに教えなかった岩谷。

しかし、それはスポーツゲームだとジャンルだけは教えてくれた。

他社のゲームを見たときはその場で崩れたという。

引き抜きは?

当時は引き抜きも多かったという。

なぜ誘いに乗らなかったかというと、ナムコでは自分の作りたいゲームを自由に作らせてもらっていたからだったと岩谷は語る。

引き抜きの話でいくら報酬が上がるからと誘われても全く魅力を感じなかったという。

有野と岩谷のパックマン対決

交互にパックマンをプレイして、その得点で競うことになった。

有野は敵を引き付けてパワーエサを食べるという頭脳プレーを披露。

滑り出しは快調だったが、その後すぐさまゲームオーバーに。

続いては後攻の岩谷が挑戦。

果たしてその実力は?

思いもよらぬ岩谷の単純ミスで、先に有野が1面をクリア。

ようやく岩谷も1面をクリア。

その後、交互にプレイを続け、有野・岩谷共に2面をクリア。

岩谷楽勝と思えた勝負も気付いてみれば五分と五分の展開に。

果たしてどちらに軍配が上がるのか?

お互いに残りは1機ずつ。

まずは、有野から。

この時点では有野が優勢。

岩谷逆転なるか?

岩谷見事3面をクリアし逆転。

余裕が出てきた岩谷、ここで丸秘テクを披露。

実は安全地帯があるという裏技。

しかし、少し動いてしまったことでモンスターが反応し、ゲームオーバー。

しかし、勝負は岩谷の勝利で幕を閉じた。

岩谷にとってゲームとは?

「ゲームとはサービス精神の塊である」

自身のサービス精神を発揮できるメディアだと岩田には語った。

その他インタビュー

ギャラガに挑戦

ギャラガ

今回の挑戦は、名作シューティングのギャラガ。

アーケードで人気を博し、その後ファミコンやプレイステーションでも発売されたシューティングゲーム。

ボーナスステージのはしりともいえる、チャレンジングステージや捕虜となってしまった自機と合体してパワーアップするデュアルファイターなど、名作といわれた前作ギャラクシアンをさらに上回るその画期的な内容に多くのゲームファンが驚かされた。

3面のチャレンジングステージで、全ての敵を逃さずクリアすれば、1万点のボーナスが入る。

今回はプレイステーションのナムコミュージアムでボーナスに挑戦。

しかし、挑戦開始直後

1面であえなくやられてしまう。

やはり有野はシューティングが苦手のようだ。

その後、 ようやく3面のチャレンジングステージへ。

結果は、敵を逃しまくったことで26匹。

パーフェクトの40匹には程遠い。

現実を思い知った有野、そこで・・・

有野は作戦を考える。

作戦とはあえて、ボスギャラガに捕まって、デュアルファイターになり、より命中しやすいツイン攻撃でチャレンジングステージに挑むというもの。

果たして上手くいくのか?

しかし、いきなり逃す。

気を取り直して再度チャレンジ。

ツイン攻撃もむなしく、結果は35匹だった。

その後も挑戦を続ける有野。

しかし、失敗の連続。

早くも音を上げる有野。

そして、有野にさらなる悲劇が・・・

自機が無いのに捕獲されてしまいゲームオーバーに。

挑戦開始から1時間が経過しチャンスが。

しかし、ボタンの押し間違いという単純極まりないミスで、1匹逃してしまった有野。

しかしながら、だいぶコツはつかんだ様子。

そして、挑戦すること32回目。

有野、念願の1万点ボーナス達成。

有野課長
有野課長

ものすごいやればできる子w

ナムコ名作コレクション

ナムコ作品紹介①

1984年「マッピー」ファミコン

元気いっぱいの新人ポリス、マッピーを操作して、ニャームコたちが屋敷に持ち去ったアイテムを取り戻すアクションゲーム。

誰でも楽しめる、明快なゲームバランスに加え、リズミカルな音楽と、キュートなキャラクターが当時話題を呼んだ。

1985年「ディグダグ」ファミコン

主人公のディグダグを操作して、ファイガーやプーカという地中の敵を退治する戦略的穴掘りアクションゲーム。

ポンプを使って破裂させたり、岩を落としてつぶすなど、攻撃方法もコミカルでユニークだ。

1986年「スーパーチャイニーズ」ファミコン

さらわれたチャイニーズランドの王女ミンミン姫と10個の宝を取り戻すべく、武者修行の旅から帰ってきたカンフーの達人、ジャッキーとリーが妖怪軍団討伐に向かうアクションゲーム。

2人協力プレイでは、さらに白熱したゲーム展開が楽しめる。

1986年「ワルキューレの冒険」ファミコン

主人公ワルキューレが魔王ゾウナから時の鍵を取り戻すべく、剣と魔法を駆使して敵を倒していくアクションRPG。

RPGとしては珍しく会話が一切無いため、謎は全て自分で解かなければならない。

しかしながら、その硬派な要素こそが、多くのゲームファンを夢中にさせた。

1986年「スカイキッド」ファミコン

バロンとマックスは息の合った飛行機野朗。

飛行機に乗り込んで敵の戦艦や要塞などを爆撃することなどがミッションだ。

耳に残る軽快な音楽が当時話題となり、小学校の運動会などでも使われた。

1986年「プロ野球ファミリースタジアム」ファミコン

野球少年のみならず、全国の少年たちを熱狂させた、野球ゲームの代名詞、通称ファミスタ。

バントでも悠々セーフの足の速いピノなど、それぞれの選手に特徴があり、各家庭のテレビの前では、熱戦、名勝負が繰り広げられた。

裏技-URAWAZA-

同チーム対戦

対戦でパスワード「6663」を入力する

ナムコ名作紹介②

1987年「ドラゴンバスター」

ドラゴンの人質となったローレンスの王女、セリア姫を救い出すため、主人公クロービスが旅に出るアクションRPG。

それまでのアーケードゲームにはない斬新なバイタリティ制度を導入。

2段ジャンプをはじめ、兜割りや垂直斬りといった、多彩な技も魅力の一つ。

1988年「妖怪道中記」PCエンジン

神様のおしおきで、地獄へ落とされたイタズラ好きの主人公たろすけが天界を目指すアクションゲーム。

倒した敵の数や獲得したお金の金額で、エンディングが変わるという当時としては、非常に珍しいマルチエンディング方式が話題となった。

裏技-URAWAZA-

5面からスタート

タイトル画面でバッドにⅠ、Ⅱボタンとセレクトを押しながらランを押す。

スタッフのインフォメーションボードで、「S.62.08.22」と入力する。

「いつでも5めんからすたーとします」と表示され、リセットしてからゲームを始める。

1990年「源平討魔伝」PCエンジン

1192年、壇ノ浦で滅びた平家一門の復讐をテーマに、日本の美を再現した純和風ゲーム。

悪魔の棟梁でもある源頼朝を倒すため、主人公、平景清は地獄から蘇り、鎌倉を目指す。

コントローラー捌きが要求される横モードやキャラクターが大きくなる一騎打ちビッグモード、そして斜め俯瞰の迷路になっている平面モードと、3つのモードが楽しめる。

1988年「貝獣物語」ファミコン

現代社会から異世界に召喚された主人公の少年と、3匹の貝獣バブ・クピクピ・ポヨンが魔王を倒すため旅に出るファンタジーRPG。

別々の場所からスタートする4人の主人公をそれぞれ操作しながら進めていくという、画期的なアイデアが盛り込まれた。

1987年「クインティー」ファミコン

めくったパネルで敵を滑らせ壁にぶつけて倒す、アクションパズルゲーム。

田尻智をはじめとする、現ゲームフリークの輝かしいデビュー作品。

愛らしいキャラクターと奥深いゲーム内容で人気ソフトとなった。

ナムコ名作紹介③

1990年「スプラッターハウス」PCエンジン

主人公リックが、連れ去られた恋人を救い出し、謎の洋館脱出を図るアクションゲーム。

おどろおどろしいBGMや効果音が、恐怖感をさらに演出。

常に緊迫したプレイが味わえる。

裏技-URAWAZA-

ラウンドセレクトとサウンドテスト画面

タイトル画面を出し、ランボタン1回、セレクトボタンを3回押す。

 

1994年「リッジレーサー」PS

素晴らしい風景や豪快なドリフトターンが話題になり、アーケードで大人気だったレースゲームをプレイステーションに移植した作品。

BGMで使われている爽快感溢れるテクノミュージックは、ゲーム音楽史に残る普及の名作とされている。

裏技-URAWAZA-

ミラーコース

どのコースを選択してもいいので、スタートとともに逆送をする。

後方のコンクリートブロックに100km/h以上で突っ込む。

2003年「太鼓の達人あっぱれ三代目」PS2

わかりやすい操作とリズミカルなアクションで子供からお年寄りまで幅広い層に大人気の太鼓リズムアクションゲーム。

クリエイター名言

遠藤雅伸

「ゲームとは一番の娯楽である」

岩谷徹

「ゲームとはサービス精神の塊である」

動画を見るには?

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ゲームセンターCXはFODでも配信中。
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まとめ

有野課長
有野課長

今日は、ゼビウスの遠藤さんと、パックマンの岩谷さんに会いました。

岩谷さんはパックマンで成功して、その後、遠藤さんにグランドクロスやナスカの地上絵入れようなんて言うてるけど、

遠藤さんも泣く泣く入れたってのがおもろかったなぁw

遠藤さんは、クリエイターとして吸収する作業は今でもしてるってのでスノボはじめたらしいけど、俺なら無理やなw

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