ゲームセンターCX第5回「スターフォース」ハドソン

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第1シーズン

桃鉄を作ったさくまあきらへ有野がインタビュー。
一体どのようにして桃鉄は生まれたのか?

また、裏話や盟友堀井雄二、鳥山明の話も必見。

挑戦コーナーでは高橋名人が登場し伝説のラリオス攻略が。

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見どころ

今回の見どころは、やはりスターフォースへの挑戦。
スターフォースといえば、伝説のデモプレーヤー高橋名人である。

なんとアドバイスに高橋名人が登場するという貴重な回だ。

さくまあきらのすごい人脈も聞けるインタビューは他では聞けない話しも満載。

あらすじ

クリエイターズインタビュー

さくまあきら

1952年生まれ、東京都杉並区出身。
読者投稿ページ「ジャンプ放送局」で人気を集める。

1987年「桃太郎伝説」発売以降「桃鉄」「桃伝」シリーズのゲーム監督をつとめる。

ジャンプ放送局が大人気!

何を隠そう有野自身もジャンプ放送局の大ファンだったようで、意気揚々とインタビューに臨んでいた。

さくまいわく、芸人でファンが非常に多いといい、その中でもバッファロー吾郎とは交流もあったようだ。

ジャンプ放送局

週刊少年ジャンプの巻末にあった人気コーナージャンプ放送局。

読者から様々なネタを投稿してもらい、それを点数で競い合うというシステムで、当時の少年たちを虜にした。

さくまは、土居、榎本らと共に、14年もの間この名物コーナーを担当。

ゲーム業界への参入

桃太郎伝説がゲームのデビュー作となるさくまだが、ゲーム制作を行うきっかけは意外にも簡単な理由だった。

大学時代からの友人である堀井雄二は、当時ドラゴンクエストをヒットさせた後で、彼からゲームは儲かるよと促されたのかもともとのきっかけだという。

ファミコン創世記

ゲーム制作に乗り出したさくまだが、デザインは毎週ジャンプ放送局であうことのできる土居にいらいしたという。

土居はゲームのデザインなどしたこともなかった。

今では考えられないようなことが昔はたくさんあったらしい。

その中でも凄いのが、なんとゲームの企画書が3ページしかなかったということで、今でも語り継がれている。

桃太郎伝説

誰でも知っている話、桃太郎を題材とした、ハドソン発のRPG桃太郎伝説。

ゲームデザインは”どいん”こと土居が担当。

フィールド上にある森のデザインが”アホ”となっていたり、ボンビーの原型が登場するなど、ジャンプ放送局テイストに溢れている。

処女作「桃太郎伝説」

初めてのゲーム制作は苦戦したという。

製作元となるハドソンにもRPGを作った人はおらず、頼みの綱は友達である。

ここでさくまは、電話にて堀井雄二からアドバイスを受けたという。

なんとも贅沢なアドバイスだ。

ゲーム音楽

ゲーム内の音楽をどうするかと考えたとき、堀井雄二は、かの有名なすぎやまこういちを起用していたため、こちらもと思い友人であった、サザンオールスターズのベース、関口和之に依頼した。

しかも、「依頼時に2、3曲作ってくれればいいから」とお願いしたが、実際は30曲近くだったという。

最終的に「こんなに書くのぉ?」と参っていたという。

桃鉄の誕生

多くの仲間に支えられ、桃太郎伝説の翌年、桃太郎電鉄を制作する。

その始まりは、1枚の模造紙だった。

模造紙を使ってオリジナルのボードゲームを仲間と遊んでいたさくま。

スタッフに計算係をつけるほど、規模の大きいものになっていったという。

しかし、どんどん金額が上がっていき、電卓をたたいていたスタッフたちの計算が間に合わなくなってくる。

そこで、さくまはなんと、ハドソンに作ってもらおうか、と考えた。

そして、さくまならではのプレゼンが行われる。

それは、ハドソンの人間に、そのボードゲーム直接遊んでもらうことだった。

ハドソンの人間は大変気に入り、ゲーム化へとつながったという。

模造紙から作り上げられた、ボードゲーム。

それが、桃鉄の原点。

そして、このゲームにはモデルとなるある人物がいた。

ゲームのモデル

ゲームのモデルになったのは堤義明だというさくま。

堤とは西部鉄道のオーナーである。

幼少から厳しい帝王学でしつけられ、大学在学中には父から冬の軽井沢に人を呼ぶ方法を考えろといわれ、堤は観光学会の仲間とスケート場を開設し、成功を収める。

さくまは、その堤が出版した本を200冊も読んだという。

その内容の中でも驚いたものがあった。

それは、堤が苗場スキー場を経営していたころ、電車が通っていなかったため、国鉄に制作費から駅員にかかる費用まで全て出すから線を引っ張ってくれと、鉄道網を引いたことである。

この堤の行動や考え方を元に、桃鉄は作られたという。 

この桃鉄のアイデアが浮かんだとき、とっさに手帳にアイデアを書きとめたというが、その手帳がとても小さく、日本列島を16分割しかできなかったことが原因で、おなじみの16分割のマップが出来上がったとさくまは語る。

金額設定について

10万円単位の設定にしたのは、プログラム的な問題もあったが、なにより、1万円単位にすると、なんだかみみっちくて面白くないという理由もあった。

桃鉄シリーズ

「SUPER桃太郎電鉄」ゲームボーイ

ゲームボーイで発売された作品。

この時点で既に、鉄道のレイアウトや登場キャラクター、基本的なルールが確立されていた。

その後もスーパーファミコンやプレイステーションなどあらゆるハードでシリーズ化。

その都度、新たな駅やカードが追加され、桃太郎電鉄は定番人気ソフトへと成長していく。

「桃太郎電鉄V」「桃太郎電鉄7」PS

桃鉄の裏話

桃鉄を制作するに当たってこだわりは?と有野が問うと、現地には必ず訪れていると語った。

しかし、その際に、気に入った地域はヨイショするし気に入らなかったら、外したりするとのこと。

気に入らないけど有名だから外せない場所はゲーム内でアカマスばかりを周りに並べたと笑っていた。

ちなみに岡山に多いらしい。

大学時代、漫画研究会に所属していたさくまあきら。

その卒業をきっかけに、マルチな生き方が始まった。

堀井雄二との出会い

大学時代、もともとは別々の大学に通っていたさくまと堀井。

都内の大学が30校近く統一されることとなり、偶然同じ漫画研究会に所属。

そこで意気投合し、仲良くなったという。

プロになろう!

大学卒業の頃、戦後最大の就職難に陥る。

オイルショックの時代だ。

仲間たちで今後どうするか考えたところ、「プロになろう」という話になったらしい。

ここで、誰しもが思ったであろう疑問を有野が問う。

有野課長
有野課長

何のですか?

何のジャンルでもいいからとにかくプロになろうと話していたそうだ。

漫画家やフリーライターなど、仲間たちは思い思いのプロにそれぞれ進んでいったという。

さくま自身はフリーライターになり、週刊セブンティーンという雑誌ではタノキントリオの記事なども含め、年間400ページも書いたという。

小池一夫劇画村塾

小池一夫はかの有名な「子連れ狼」を書いた人物である。

その小池一夫が劇画村塾を開講するとあって、さくまも塾生となるが、その理由がまた面白い。

こういう塾のようなものは1期生ですごいやつが出やすい。

もし、自分が入ってうまくいかなくても、そのすごい1期生が見れるかもしれないという理由から入塾したのだという。

そして、その勘は的中した。

1期生の同期に、なんとあの高橋留美子がいたのだ。

ここで有野は疑問に思う。

さくまもそうだが、高橋留美子も小池一夫が作ってきた「劇画」というものに当てはならないのでは?ということ。

実は、小池は自身の作り上げてきた劇画調というものを、塾生に全く押し付けなかったのだ。

劇画村塾時代

小池一夫の劇画村塾に入ったさくまだったが、入ったコースが編集コースというもの。

しかし、応募者がさくま一人だったため、やることが全くなかったという。

何をしていればいいですか?と質問すると、「業界でも役立つことがあると思うのでみていてもらえれば」と言われたそうだ。

あまりにもやることがなかったさくまは、暇だから自分も原作を書いてみようとチャレンジしてみる、なんとそれがヒットしたのだ。

その原作は塾生の中でも1位の評価だったという。

小池一夫氏も、後にさくまあきらを一番弟子としている。

鳥山明も友達・・・

さくまはライターだけでなく、漫画評論家としても活動をしていた。

あるとき、鳥山明の作品をみたさくまは、すぐに「すごい新人が現れた」と記事にする。

直接会ってみると、とても波長の合う人間だったため、彼をもうプッシュしたのだという。

ジャンプ放送局

ジャンプ放送局は14年も続けたモンスターコーナーだ。

それもそのはず、当時そのコーナーはほとんどの読者が目を通す大人気コーナーだった。

全盛期には週に40,000通もハガキが来たという。

40,000通もハガキに目が通せるのかとありが思わず聞くと、目を通せたとさくまは答えた。

ハガキを見続けたおかげで、いつのまにか特殊能力が身に付いたというさくま。

なんと、ハガキを一瞬見ただけで全体の内容を見通せるようになったのだ。

いわば、ひよこの雄雌をわけるような能力だとさくまは語る。

あらゆる職種経験と幅広い交友関係がゲームクリエイターさくまあきらを作り上げていく。

飛行機が苦手

全国を歩き回って作成する桃鉄。

さくまが飛行機に乗れないことで海外版の桃鉄がないとのこと。

飛行機に乗れないさくまだが、ハワイ編を作ることができたのは、桃太郎伝説で音楽を担当してくれたサザンの関口が大半をハワイで過ごしていたため、話を聞くことができたためだったという。

桃鉄人気キャラクター大図鑑

人気キャラクター

貧乏神

圧倒的な存在感で、他を寄せ付けない強力なキャラクター。
まったく役に立たず、余計なことばかりするが、どこか憎めない。
そのモデルは榎本氏。

ミニボンビー

貧乏神が変身した姿。
愛らしい姿にひと時癒される。

キングボンビー

最も手ごわいキャラクター。
はりついたプレイヤーに対し、ありとあらゆる悪行を慣行。
プレイヤーたちの形勢大逆転も起こるため、勝敗のカギを握るといっても過言ではない。

太郎

ゲームの進行役をつとめる

夜叉姫

桃太郎と同じく、ゲームの進行役。

おいどん

鹿児島駅到着時に登場するキャラクター。
増資したりお金をくれたりと、良いことずくめの存在。

スリの銀次

容赦なくお金をスっていくキャラクター。
しかし、持ち金マイナス時には、お金をくれることも。

その他

その他にも、ドジラース、モモトラマン、ばかもん親父、電車伝助など、ユーモアに溢れたキャラクターたちが多数存在している。

カードの作り方

桃鉄といえば、カードの存在。
どうやって作られているのか?

さくまの中では、有力な候補カードを1軍と2軍で分けているようだ。

製作中にあったカードでもいまひとつとなれば、発売時に存在しないということもあるらしい。

カードはいつもタイトル先行で考えるという。

読者などから「フランシスコザビエルカード」などアイデアをもらって、どんな内容のカードか考えていた。

桃鉄でヒーローに!?

桃鉄をプレイしたユーザーから嬉しい声も聞くというさくま。
その内容は、テストの点数が上がったというものだった。

たしかに、桃鉄では歴史上の人物や地理について、勉強があまりできない子も桃鉄をプレイすることで点数が上がるという。

そして、点数が上がる子は他の教科についても勉強して点数が上がる傾向にある。

いつしか桃鉄はPTAも推薦するソフトとなった。

確かに、ネット上ではこのような声もある。

人気カードアラカルト
桃鉄の人気カード

銀河鉄道カード

一度使えば、全てアオマスの宇宙で必ず目的地に到着するという夢のカード。
ロマン溢れるビジュアルも人気の秘密。

徳政令カード

借金がいくらあってもこれ一枚でOK。
とってもありがたいカード。

ゴールドカード

物件を10分の1で買えるという夢のカード。

プラチナカード

物件どころか、都市全体を10分の1で買えるカード。

その他にも様々なカードが存在している。

さくまへのインタビューは桃鉄演出担当を交えてさらに一歩進んだ桃鉄ワールドへ。

柴尾英令

桃鉄11から演出として参加している
「レナス 古代機械の記憶」のシナリオも手掛けている。

もともと上品な作品ばかりだったが、心のどこかではさくまの手掛けるような多少下品なものもやってみたいとは思っていたらしい。

桃鉄珍プレイ

花火ラリーカード

桃鉄12での見どころの1つ。
隅田川や長岡といった、全国8カ箇所にある花火の名所でスタンプを集めれば、ご褒美として素晴らしい花火を見ることができる。

ぶっとびカードホールインワン

ぶっとびカードを使って、偶然目的地に入ってしまうというホールインワン。

魚ヘンクイズに正解

貧乏神の魚ヘンクイズに当たってしまうという地味ながら珍しい現象。

コンピューターVS人間

桃鉄に出てくるさくま鉄人はもちろん、さくまあきらがモチーフだが、桃鉄のプレイスタイルは本人のものではないという。

さらに、桃鉄のコンピューターは強く設定しても、人間の脳には勝てないとさくまは語る。

さくまの好きなキャラ

やっぱり貧乏神がすきというさくま。

それはモデルとなっているのが榎本一夫ということもあるようだ。

彼の子供が誕生したときにミニボンビーも作ったという。

桃鉄の石造

四国の鬼無きなし駅は鬼が無いと書くことから桃太郎の伝説が語られている場所として、桃鉄の像が建てられた。

その人気スポットに訪れるファンも多いという。

桃鉄12から登場したボンビーモンキー。

それにあやかって、東京谷中の妙泉寺に建てられたのが貧乏が去る像

頭にはサルが乗っており、ギャンブル運が向上するということで人気スポットとなっている。

桃鉄で対決

有野と柴尾で桃鉄を対決することとなった。

期間は3年、西日本編で対決。

有野はプレイヤー名を「どいんどす」に。

最初の対決は天橋立。

まったりとしたスタートの中、有野は意外にも堅実なプレイを見せる。

最初は有野が先に目的地に到着。

しかし、好調も続かず地図のクイズに失敗すると、それを機に柴尾が本領発揮。

柴尾が次々と目的地に一番乗りする。

不調が続く有野、最後にはキングボンビーにまで取り憑かれてしまう。

3年間勝負の結果は、柴尾の逆転勝ち。

好きなゲームは?

信長の野望は良くやったというさくま。

名だたるクリエーターはこぞって信長の野望をやっている。

https://gccx.xyz/season1/koei/

専門学校の講師をしていたこともあり、一度信長の野望を朝までやっていて寝過ごしたこともあるという。

休みの日は堀井雄二と2人でずっと信長の野望をやっていたらしい。

ゲームクリエイターに大事なものは?

さくまは、ゲームクリエイターに大事なものを聞かれると即答した。

それは好奇心だという。

何でも貪欲に取り入れて、挑戦することが大事ということだ。

さくまにとってゲームとは?

「生活そのも」

旅に行っても、テレビ見てもすべてがネタになり、ゲームで返ってくる。

スターフォースに挑戦

今回は、ハドソンの名作、スターフォースに有野が挑戦する。

スターフォース

1985年、ハドソンがファミコン用に発売したシューティングゲームの金字塔とも言うべき作品。

シューティング界に彗星のごとく現れた本作は、撃ちまくるという爽快感と、連射という要素が当時のユーザーのハートをわしづかみにした。

その熱は、とどまるところを知らず全国各地でキャラバン大会が開催されるなど、社会現象にも発展。

 

シューティングが苦手な有野。

果たしてクリアなるか?

今回有野画挑戦するのはラリオス50,000点攻略。

八方から合体するラリオス。
その合体前のわずか1秒間の間に、8発撃ちこめば50,000点になるという夢の裏技。

さっそくラリオス攻略に挑戦する有野。

しかし、ラリオスどころかその手前でやられてしまう始末。

15分後、ようやくラリオス地点に到着。

しかし、あえなく失敗。

とても連射ができる手元とは思えない。

このままでは、1秒間に8発、50,000点など、到底不可能。
そう考えたスタッフはある助っ人を依頼した。

あの伝説の人物だ。

なんと、あの高橋名人が登場したのだ。

高橋名人

1959年、北海道出身。
本名、高橋利幸。

1982年にハドソンに入社後、ファミコンソフトのデモプレイヤーとして全国をまわる。

「スターフォース」で記録した「16連射」で一躍子供たちの人気者となり、自身が主人公のソフトまで発売された。

ファミコン少年たちのカリスマであり、雑誌やテレビなどにも登場した。

 

「今ラリオス攻略をしているが全くできないんですよ」と名人に攻略法を求める有野。

これを使ってくださいと取り出したのが「ジョイスティック」と「シュウォッチ」だった。

名人いわく、ハンドル操作が楽になり、連射もしやすくなるということだ。

ハドソン丸秘アイテム

ハドソンスティック

高橋名人といえばハドソンスティック。
手元を固定することで、操作性が向上。

脅威の16連射を生み出した。

シュウォッチ

少年たちの自主トレアイテム、シュウォッチ。

10秒間で何回連射できたのかその記録が計れる。

そして、有野の連射どれくらいなのか、実際にシュウォッチで計ってみることに。

結果は10秒間に89回。1秒間にしておよそ9回近く撃てていることになる。

すると、名人から的確なアドバイスがあった。

それは、撃ち始めのタイミングにポイントがあるというもの。

ラリオスにダメージを与えられるのは、ラリオスが光った瞬間からだという。

もし、光る前に撃ってしまうと、その分追加となり、2発撃っていれば10発撃たないと攻略できなくなるというのだ。

名人のお手本

いよいよ、往年の名人芸、高橋名人にお手本を見せてもらうことに。

すると、目にも留まらぬ連射に有野も感動。

伝説の連射は健在だった。

これが高橋名人の連射だといわんばかりのテクニック。
目にもとまらぬ速さで、いとも簡単に敵を撃破していく。

名人から授かった攻略ポイントは2つ。

光ってから撃つことと、できるだけ近づくこと。

それを肝に銘じ、再度挑戦。

惜しい感じはあるものの、攻略できない。

体勢を変えながらめげずに挑戦するありの。

スタッフで唯一、ラリオスを攻略できるAD東島を呼び、手本を見せてもらうことに。

しかし、

手本で登場したはずの東島もラリオスは攻略できず。

2時間半が経過し、体力的にも限界。

筋肉痛と目の疲れが、症状として表れ始めた。

そして、挑戦すること3時間10分。

ラリオストライ73回目。

有野、改心の笑顔。

ついに、ラリオス50,000点クリア。

長い道のりに終止符が打たれた。

ハドソン名作コレクション

ハドソン名作紹介①

1984年「ナッツ&ミルク」ファミコン

可愛らしい主人公ミルクが、ライバルのナッツをかわしながら、恋人のヨーグルのもとへ向かうアクションゲーム。

裏技-URAWAZA-

自機が減らずに次の面へ進む

プレイ中にミスしたら、セレクトを押す。

1984年「ロードランナー」ファミコン

金鉱の中の金塊を全て集めるパズルゲーム。

知恵を絞りながら穴を掘り敵をかわしクリアを目指す。

裏技-URAWAZA-

ステージを選択できる

ステージスタート画面でセレクトを押すとステージを選択できる。

1985年「バンゲリングベイ」ファミコン

ヘリを操作して、マップ上にある工場などを撃破するシューティングゲーム。
難易度の高さで当時、頭を悩ませる子供たちが続出。

そのため大人になった今でも多くのゲームファンの記憶に残り続けている。

1985年「プーヤン」ファミコン

プーヤンのママが乗るゴンドラを操作し、狼から子供たちを守るシューティングゲーム。
軽快な音楽と、愛らしいキャラクターで当時の人気ソフトに。

1985年「チャレンジャー」ファミコン

ワルドラド島の調査に向かった、考古学者チャレンジャーが女王マリアを救い出すアクションゲーム。
Bボタンがジャンプという、一風変わった操作システムながら冒険というテーマに、多くの子供たちが興奮した。

裏技-URAWAZA-

一定時間無敵化

列車の一番後部へ行き、右に向かってナイフを投げ続け、出現したクジラを取る。

ハドソン名作紹介②

1985年「バイナリィランド」ファミコン

プリンとマロンを操作し、ハートのゴールを目指すパズルゲーム。
左右逆方向へ動くという斬新なアイデアは、当時のファンを驚かせた。

1985年「ボンバーマン」ファミコン

地下王国で作られたボンバーマンが地底脱出を目指すアクションゲーム。
現在もシリーズ化され、多くのファンに愛され続ける、ハドソンの看板ソフト。

1986年「忍者ハットリくん」ファミコン

大人気漫画ハットリくんが大活躍する横スクロール型アクションゲーム。
影走りの術、八方手裏剣の術など、本家さながら全11種類の忍法が登場。

1986年「高橋名人の冒険島」ファミコン

ゲームキッズたちのアイドル、高橋名人がさらわれた恋人を救い出すアクションゲーム。
当時流行ったスケボーが登場するなど子供たちを喜ばせる要素がたくさん詰まった秀作。

裏技-URAWAZA-

やられたラウンドの最初から再スタート

1エリア1ラウンドのゴール寸前のガケでジャンプし、隠れタマゴを出す。

1986年「ドラえもん」ファミコン

世界中で愛される、ドラえもんのアクション&シューティングゲーム。
開拓編、魔境編、海底編とバランスの取れたステージ構成で、多くのファンを虜にした。

裏技-URAWAZA-

ワールドをスキップ

タイトル画面でコントローラーⅠの「A」、「B」を押したままセレクトを1回押すと、ワールド2

ハドソン名作紹介③

1987年「カトちゃんケンちゃん」PCエンジン

高視聴率を叩き出した、伝説の番組、カトちゃんケンちゃんごきげんテレビがモデル。

カトちゃんはジャンプ力が高く、ケンちゃんは足が速いという特性を活かし、ステージクリアを目指す。

1988年「サラダの国のトマト姫」ファミコン

登場するキャラクターがすべて野菜という、一風変わったアドベンチャーゲーム。

精度の高いストーリーと可愛いキャラクターで女の子を中心に人気ソフトに。

クリエイター名言

「生活そのも」

旅に行っても、テレビ見てもすべてがネタになり、ゲームで返ってくる。

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有野のまとめ

有野課長
有野課長

いやぁー

おもしろかったですねぇ!

ジャンプ放送局のさくまに会えるって・・・

びっくりしたぁ。

実はすごいびっくりしてました。

本当はさくまやってすごい呼び捨てにしたかったんですけどねぇ。

でも話していくうちにホンマに黄色いセーターが○○に見えてきてねぇw

コメント

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