ゲームセンターCXスペシャル「田尻智」ゲームフリーク

スポンサーリンク
スポンサーリンク
第1シーズン

ポケモンを生んだ伝説のゲームクリエイター、田尻智に迫る。

今も大人気のメガヒット作品を生み出す頭脳はどのようにして培われてきたのか?

挑戦コーナーでは有野が助っ人と共にマリオにリベンジ。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

見どころ

ポケモンを作った男、田尻智がいかにしてポケモンを作るまでにいたったのか。

その全貌が明らかになる。

また、田尻の独特な雰囲気や人柄がわかることも見どころの1つ。

さらに、スーパーマリオブラザーズ2に再挑戦する有野のもとに強力な助っ人が登場。

果たしてクリアなるか?

あらすじ

田尻智にインタビュー

田尻智について

日本初となるゲーム専門誌、「ゲームフリーク」の出版をかわきりに、ゲーム業界で活躍。

クィンティやヨッシーのたまごなど、数多くのゲームソフトを手掛けた後、1996年、世界中が熱狂し、大ブームとなった「ポケモン」を発表。

今回は、ポケモン生みの親、田尻智に迫る。

有野昇格

この回から有野は、主任という立場から課長代理に昇格。

しかし、この段階では現在の課長という立場ではなかった。

ゲームフリークを訪ねた有野、そこはなんと、潜入初の土足厳禁だった。

有野、田尻智と対面。

下北に会社がある理由

80年代はゲームをプレイするためにかなり訪れたという下北沢。

会社を置く場所に選んだ理由も田尻智らしい考え方があってのことだった。

その当時、ゲーム開発を行う各社が全国にゲームの筐体機を出荷していたが、下北沢のゲームセンターは到着が早い傾向にあった。

それを知った田尻はいち早くゲームがプレイできると、わざわざ遠出をして下北沢を訪れていたという。

ゲームフリークとしても、下北沢のゲームセンターでゲームをやりこんだ後、オフィスに戻って原稿を書くということをスタッフみんながやっていたようだ。

同人誌の出版

田尻がゲームの世界に深く足を踏み入れた出発点は、同人誌の出版であった。

普通紙を束ねた簡易的な作りだが、ゲーム誌であることを理解してもらうために、ゲームキャラクターを表紙にしたという田尻。

絵が苦手な田尻は当時、ゲームの画面を見つめて、ドットがどうなっているかを確認しながら描いたという。

絵は描けないが、点々のありようであれば描けるということでドット絵となった。

1980年代はゲームの雑誌は無かった。

しかし、田尻としては、このゲームの面白さをどうにか伝えたいと考えた。

誰もやらないのであれば自分でやろうと、手書きで始めた。

有野は気になったことを聞いてみた。

「タダで配っていたんですか?」

すると、田尻は売っていたと答えた。

当時新宿には、同人誌などお手製の本を売ってくれるお店があったという。

田尻は制作した同人誌を200円で販売していた。

すると、有野から「高くないですか?当時ジャンプが170円ぐらいですよね?」と尋ねられた田尻は「このとき考えてことは、紙などの質ではなく、情報にお金を払ってほしい」と答えた。

ゲームセンターで少し遊んだだけではわからないようなことが書いてあれば、買ってよかったと思うはず。

200円といえば、ゲーム2回分。

ゲーム2回分やるより早く上達できる情報があれば買ってくれるのでは?という戦略だった。

有野課長
有野課長

なるほど、200円じゃ上手くなるのは難しいですもんね!

田尻は、そしていただいたお金で新しい情報を得るためにまた、ゲームセンターへ行かせてもらいますと語った。

ゲームフリークは当時のゲームファンにとって待望の1冊だった。

業界初のゲーム情報誌

その頃のゲーム情報誌というのはすごく目立ったようで、1週間後に見に行ったら売り切れていたという。

制作はホチキス止めなど含め、田尻自身が一人で行っていたという。

有野課長
有野課長

でもええ仕事はしてますねぇw

ゼビウスとの出会い

ゲームフリーク2号制作時にゼビウスに出会った。

ゼビウスの面白さにのめりこんだ田尻は、ひたすらゼビウスをやりこんだ。

そして、ゲームフリーク2号では、ゼビウスのみの内容に絞り、わりと攻略方に近いものばかりを詰め込んだという。

1000万点への解法

ゼビウスといえば、別記事にて遠藤雅伸のインタビューをご紹介しているが、その際に登場した、1,000万点をたたき出した人物の存在である。

https://gccx.xyz/season1/namco/

その人物はナムコに直接6時間分のプレイビデオを持っていったという話があった。

実は、その人物が「ゼビウス1000万点への解法」を書いた人物なのだ。

無許可はまずいかと考えた彼はナムコに解法を出したいと電話で話し、直接ナムコへ向かうこととなった。

快く承諾したナムコは社内資料も提供して攻略本が完成した。

しかし、高校3年生だった彼は受験シーズンともあり、親にその活動を止めさせられることとなった。

そこで、当時ゲームフリークのことを知った彼は、田尻に「1000万点への解法」を引き継いで販売するよう依頼。

以降「1000万点への解法」はゲームフリークが販売することとなった。

ゼビウスを徹底解析した1000万点への解法は大きな反響を呼んだ。

この同人誌はなんと、制作者販売で5,000部、ゲームフリーク販売で10,000部と計15,000部も販売している。

有野課長
有野課長

すごいっすねぇ~

田尻自身通信販売を開始したばかりで、郵便でサンタクロースのおもちゃ袋ぐらいの封筒が届き、そこには1000万点への解法購入希望と書かれていた。

はっきり言って攻略や本の制作なんかより、販売作業のほうが大変だったと語る田尻。

「解法を送るだけで人生終わりそうな勢い」だったらしい。

販売作業も田尻本人だけでは間に合わず、家族の総出で行っていたようだ。

ゼビウスの攻略地図だけでなく、同人誌ならではの内容も組み込まれたことも話題となった。

ナムコが全面協力

同人誌なのに、表紙がナムコから提供された、いわば本物のイラスト。

これも、ナムコの懐の深さだと田尻は語る。

ゼビウスの噂話

そこには本当かどうかはわからない噂話などの内容もあった。

例えば、「100万分の1の確立でギャラクシアンが出る」、「ファントム飛行機が飛ぶらしい」などである。

「それはホンマなんですか?」という有野の問いに「ホンマではないんですねぇ」と笑いながら答えた。

ゲームセンターでは様々な噂話があり、面白いものを一緒に掲載していたようだ。

ゲームとの出会い

田尻がゲームを始めたのは、中学2年生のときのインベーダーブームがあったからだったという。

その当時は、インベーダーの類似ゲームもたくさんあったという。

スペースキングやコスミックモンスターズなど名前が違ったが、画面上は微妙に違うところがあるようなゲームだったという。

田尻としては、インベーダーを類似ゲームも含めて愛していたようだ。

インベーダーに魅了された田尻は、ゲームセンターに頻繁に通うようになった。

ゲーセン通いの日々

ゲーセンでは1回いくたびにどれぐらいお金を使ったのかと有野が尋ねると、「中学生だから、1,000~2,000円くらいはすぐ使っちゃってた」と田尻は答えた。

当時は町田で暮らしていて、1ゲーム100円というのが当たり前だったが、あるとき、住宅街の裏側に、1ゲーム30円でできる伝説のゲーム屋さんがあると聞きつけた田尻。

3回やって10円お釣りがくる魅力に惹かれたという。

なんとかして見つけたかった田尻は、噂話をしている人を一人ひとり当たって、半年ほどかけてなんと発見したのである。

そこにはプレハブ小屋が建っていて、ゲーム機が2台あって30円でプレイできたという。

さらに、当時のゲームセンターあるあるも話してくれた。

当時のゲームセンターはだいたい薄暗く、両替機の下にはやたらとお金が落ちていたという。

それをどうしたかと有野が尋ねるとゲームセンターに還元したと笑いを誘った。

ゲーム作りのきっかけ

ゲームアイデアコンテストへの応募がゲーム作りをはじめるきっかけとなった田尻。

当時のPC-8000というコンピューターを利用して、プログラムを自分で組むようになったという。

ゲーマーだった頃、インベーダーの続編やオリジナルなど自分でゲームが作れたらという思い描いた夢を実現する第一歩となった。

最初の応募は努力賞に終わったが、翌年田尻は見事優秀賞に入選。

有野課長
有野課長

すごい、10万円もらってるじゃないですか!?

優秀賞を獲得したときの作品はスプリングストレンジャーというもの。

体が丸いキャラクターでコミカルタッチなゲームだという。

階段をスプリングが連続で下りて行き、途中にある剣山踏まないようにするというルール。

降り方も1段飛びか2段飛びを選ぶことで剣山を踏むか踏まないかが変わってくるという、シンプルながら良く考えられたゲームである。

そして、優秀賞の授賞式のために、セガの本社に呼ばれた田尻は、そのきらびやかさに驚いたという。

その当時のセガは本当に輝いていてという田尻に対して有野から「今もですよw」というツッコミが入ったものの、その当時では珍しい西海岸にありそうな会社のようだったという。

デビュー作「クインティ」

クインティ

ゲームソフトの制作に目覚めた田尻が雑誌の出版と平行して作り始めた作品のクインティ。

床をめくり相手を攻撃するというシンプルな操作ながら、絶妙なゲームバランスとバレリーナをはじめとする個性的なキャラクターが話題となった記念すべきファミコンデビュー作。

なぜクインティのようなゲームが生まれたのか?

当時はマリオなどの横スクロール画面がどんどん展開していくゲームが人気になり、各社がこぞって横スクロールゲームを制作していた。

しかし、その流れに抵抗したいという気持ちがあり、中学生が新しい英語の動詞を獲得したときの喜びのようなものを見習い、「固定画面」と「新しい動詞」にこだわることを決意した。

そして、この動詞というものが後々までヒットを生み続ける田尻にとって一番大切な哲学となる。

このときの動詞はずばり「めくる」だ。

クインティはめくるという動詞をテーマに、床にあるパネルをめくって敵が転ぶと倒せるということをゲームらしく表現するとどうなるだろうと考えられたものだった。

クインティの企画書

中学生の頃、ドット絵が書けると大好きだったグラフ用紙。

それを利用してクインティの企画書を作成していた。

企画書の内容も見せてくれた。

およそ3年の歳月をかけて完成したクインティは異例のアプローチで発売にこぎつける。

普通は「こういうゲームが作りたい」と企画を持って行き通ればゲーム化という流れが当たり前だったが、田尻は、ある程度遊べるぐらいまでゲームを作りこみ、「こういうゲームを作ったんですが見てくれますか?」と異例のアプローチをナムコにかけたという。

ナムコへのこだわり

3年もかけて完成したクインティも持っていったゲーム会社はナムコだった。

一体なぜだったのか?

それは、ナムコの黄金時代、パックマン、ディグダグ、ゼビウスなどの名作が、田尻のゲーム制作のエッセンスとなっていたからだ。

そういったナムコへの思いも企画とともに一緒にプレゼンしたこともあってか、担当からは制作OKの返事を即答してもらえたという。

ヨッシーのたまごのきっかけは?

クインティの成功で、株式会社となったゲームフリークは2年後ヨッシーのたまごを手掛ける。

実は田尻、クインティの後にはポケモンに当たるものの制作を既に考えていた。

当時、糸井重里が任天堂とのコラボとなるエイプという会社を立ち上げた。

そこで、ゲームを募集することとなり、田尻はポケモンのアイデアを持っていくことに。

素晴らしい企画から、制作自体は決まったが、どうしても時間がかかると考えた糸井

そこで、ヨッシーのゲームを作ろうとしている任天堂の横井軍平もとで勉強をしてくると良いと、ヨッシーのたまごの制作をまかされることとなった。

しかし、その制作は半年間で完成させるという期限付きのものだった。

期日を半年間としっかり決めて短い期間でもきっちり仕上げるというプロの仕事に挑戦してみようと決めた瞬間だったという。

プレイヤーを熱中させた秀逸なゲームシステムにはある人物のアドバイスがあった。

田尻は制作したヨッシーのゲームを横井軍平に提出することとなる。

当時は、テトリスを代表とするブロックゲームといえば、上から降ってくるブロックのほうが左右に移動して、位置を決めるのが普通である。

しかし、横井は下に溜まっているブロック群を左右に入れ替えしてみては?とアドバイスしたのである。

それが起点となりヨッシーのたまごは見事完成したのだ。

横井軍平という人物

田尻いわく、横井は頭がとても柔軟で、言うなれば心は中小企業というような存在だったという。

まさに、アイデア1つで大きな影響を与えられるというのを教えてくれた人物だ。

横井という人物はそんなヒントを与えるのがとても上手い人物だったと田尻は語る。

ヨッシーのたまごのヒット

ヨッシーのたまごは発売初日から50万本を売り上げるという大ヒット作品となった。

それは、田尻のところではしっかりした作品が作れるという証明にもなり、田尻自身の自信にもつながったという。

クインティの頃の情熱だけで作り上げるものとは違い、プロの仕事をするという面でも人生において貴重な体験ができたと田尻は語った。

ヨッシーのたまごを成功させ、プロとしての自身を得た田尻。

その後、数多くのゲームを手掛けた後、1996年にポケットモンスターを発表。

交換やコレクション、育てるという要素が、子供たちの心をつかみ大ヒット。

テレビアニメや映画にも展開し、日本のみならず世界各地でポケモン旋風を巻き起こした。

ポケモンを作るきっかけ

ヨッシーのたまご発表後に再びポケモンの制作に戻る田尻。

そこにはひとつの確信があった。

それもキーポイントは「通信機能」である。

この通信機能に対するアイデアは、ポケモンを制作する以前から構想があったのだ。

アイデアのきっかけとなったのはドラクエをプレイしていたときのこと。

ゲーム内にはMPの消費を節約できる貴重なアイテム、「ふしぎなぼうし」というものが存在していた。

しかし、貴重がゆえに中々手に入れることができない田尻。

それなのに、友人でもある同僚はなんと2つも所有していた。

「これは何とかして僕のゲームにもらえないだろうか」と友人と話していたころ、ゲームボーイに通信機能が搭載されているということを知った田尻はそこでアイデアがリンクすることになる。

そのとき思わず「これだ!!」と叫んだ。

多くのモンスター誕生秘話

独りよがりな作品ではなく、多くの人に魅力のある作品を作るべく、社内全員からモンスターのアイデアを提案してもらうこととなった。

そしてまとまったのがこの怪獣図鑑。

田尻が旗を振り、社員全員でキャラクター作りに没頭。

その結果、あらゆるモンスターが誕生したのだ。

実はいきなりモンスターを交換するという通信の利用方法に決まったわけではなかった。

実験として、機器を移動できるものはアイテムや、お金などあらゆるものを試したが、モンスターがやはり一番面白かったからだ。

それも、各自が育てたモンスターにはそれぞれ育て方に特徴があったり、特別な技を覚えていたりと、同じモンスターでも自身が所有するモンスターとは異なる点が人の心を惹きつけると確信しモンスターを交換できるようにしたという。

ポケモンのアイデアが生まれたもう一つの原点。

それは、田尻の少年時代に隠されていた。

もう一つの原点

田尻は少年時代に、昆虫博士といわれるほどの虫取り少年だったという。

虫取りをしたいと思った田尻少年は、本を読んで採り方を勉強する。

すると、そこには蜜を使って虫をおびき出すというものが載っていた。

しかし、そのとき田尻少年にとって蜜というものはリアリティが無かった。

そのため「蜂蜜なんか木に塗って本当に虫がくるかよ」とまで思っていたという。

何よりも身近に蜜を手に入れる手段が無かった。

そこで田尻少年は知恵を絞った。

木陰などに大き目の石を置き時間が経ったらひっくり返すと、そこにはクワガタなどがいた。

そのとき小学生にして、アイデア一つで何かができるんだと感じたと語る。

そして、虫を追いかけることがひと段落した頃にインベーダーブームが到来し、ゲーム少年へと変わっていったという。

こういった集めるなどの探究心もポケットモンスターの原点と言える。

田尻智とポケモン対決

対決前に有野の図鑑をチェック。

すると、なんとコンプリートしていた。

それに田尻は度肝を抜かれた。

この2ヶ月間、有野は片時もゲームボーイを手放さず、イベントにも積極的に参加して、強いポケモンを集めた。

イベントで交換してもらったポケモンなどもそこにはいた。

さらに、自身で集めたポケモンも、有野のネーミングには一癖あったのだ。

森三中に似ているからとラッタはムラカミだったり、おぎやはぎやかにえKZなどバリエーションも豊富。

いよいよ田尻とポケモンバトルスタート。

4対4のポケモンバトルスタート。

有野はクリントンで対する田尻はにょろたんを出す。

LVは有野が上回っている。

有野のクリントン、効果抜群の先制攻撃が決まる。

さらに田尻のにょろたんをマヒ状態に。

隙をついて有野さらなる攻撃を追加。

有野まさかの先制。

続いて田尻はぴかぴーを投入。

それに対し、有野はクリントンを引っ込めた。

一気に畳み掛けたい有野だったが、田尻も選手交代。

そして、田尻が投入したのはゴースト。

宙に浮くゴーストには有野の攻撃も効き目なし。

有野はガリクソンで対抗しようと試みるが、ゴーストの繰り出したあやしいひかりで混乱状態に。

田尻攻撃の手を緩めることなく追い討ちをかける。

これでお互いイーブン。

ここで有野、期待のはらたかしで挽回を図る。

しかし、再び田尻のあやしいひかりで混乱状態に。

完全に流れは田尻に傾く。

しかし、ここではらたかしの混乱が解け改心の反撃を繰り出した。

さらに有野くわまんで追い討ちをかける。

有野宿敵ゴーストを倒し、再びリード。

2ヶ月間の成果がここで。

期待が高まる。

有野課長
有野課長

勝てるかも。

作った人に勝てるかも。

しかし、有野の見せ場もここまでだった。

田尻が投入したフーディンに手も足も出ず。

その後も田尻の隠し玉のフーディンが圧倒的な強さを見せ、有野のポケモンは次々倒されていく。

有野課長
有野課長

くわぁ~。

負けた。

そしてついに決着。

終了後、有野の努力と検討を称え、ポケモン交換。

有野はお気に入りのかにえKZを田尻に。

田尻からは、ゲームフリークのマークがモチーフとなったポケモンのアンノーンが。

LV34のかにえKZを送った有野に比べて、田尻からもらったアンノーンがLV25とレベルの低さに疑問を覚えた有野は、「得したんかなぁ」とぼやいて笑いを誘った。

やられたと思うゲームは?

有野からやられたと思うゲームは?と問われた田尻は「メイドインワリオ」と即答した。

メイドインワリオはミニゲームが詰まったソフトでほんのちょっとやりたいという希望を叶えてくれるお手軽なゲームだった。

さぁゲームをやるぞという気合も必要なく、気軽にスイッチを付けたらサクッと遊べるという点が魅力だと語る。

クリエイターに必要なこと

これはクリエイターだけでなく現代の多くの若者にも見てほしいないようだ。

田尻いわく、「得意分野が2つ以上あると物事がやりやすい」としている。

好きなことが2つ以上あればそれぞれが相乗効果で補い合うという。

そのそれぞれのレベルは胸を張って得意だといえるレベルである必要がある。

田尻の場合は、「ゲーム」「昆虫採集」。

まさしく、モンスターを集めるというコンセプトが生まれた昆虫採集と開発しようと思えるほど詳しくなったゲームが掛け合わされてポケモンが誕生したといえる。

新しいものは新しい動詞から

田尻のゲーム制作の哲学は新しい動詞にある。

クインティではめくる、ポケモンでは集める。

そのジャンルの新しい動詞を探ることが何かを成功させるための秘訣かもしれない。

これは、ゲームに関わらずこれから何かを始めたいと考える人全てに参考になる話だと思う。

田尻智にとってゲームとは?

「人生そのもの」

これはインタビューを見ていて誰もが納得したものであっただろう。

有野も珍しく「そりゃそうですね」と返していた。

ポケモンイベントに参加

田尻智に会うためにこの2ヶ月間ポケモンを育て続けた有野。

そんなポケモンの実力を試す絶好のイベント、ポケモンリーグトリプリビートに参戦することとなった。

各地からつわものばかりが終結。

対戦前から熱気が溢れる。

このイベントでは、小学生以下の部と中学生以上の部が存在する。

有野が参加するのはなんと・・・

ジュニアの部だった。

早速、小学生たちに混ざって列に並び、対戦を待つ有野。

有野、初戦の相手は小学3年生の男の子。

有野課長
有野課長

うわー

はじめてやなぁw

6匹のポケモンから4匹を出動させ、相手を全て倒せば勝ちとなる。

早速バトル開始。

しかし、有野はわずか9歳の男の子に敗北。

このままでは引き下がれないと、今度は小学1年生の弟と対戦。

しかし、初めて見るポケモンに動揺する有野。

正体もつかめぬまま打つ手なし。

あっけなく2連敗となってしまう。

強いポケモンを求めて会場の子供たちとポケモン交換をすることに。

まずはこちらの女の子に交渉。

ハクリュウを希望するも交渉決裂。

しかし、ブーバーとキュウコンは交渉成立したようだ。

有野課長
有野課長

ブーバーとキュウコンGETだぜ!!

初めて言えました。

さらに交換を続け、ポケモンを強化。

そして、レクチャーも受けることに。

なぜかカメラ目線で話す子供に有野も興味津々。

有野課長
有野課長

なんか、通販の番組みたいやなぁw

強化したところで再びバトル会場へ。

次の対戦はこちらの女の子。

有野今回は有利な状況。

1体倒しただけでこの調子の乗りようである。

あんなに調子に乗っていたのに敗北してしまった。

残念ながら、ポケモンバトルは3連敗だった。

温泉ゲーム紀行

かつて、ファンを熱狂させたアーケードゲームが未だに活躍している場所がある。

「温泉ゲーム紀行~箱根を訪ねて~」

古くから、温泉のあるリゾート地として、観光客に親しまれてきた箱根。

そこはまた、レトロゲームの宝庫でもあった。

箱根ゲームセンターめぐり1

今回、有野は古いゲームを探すために、ゲーム会社に行っても仕方がないので、今でも稼動しているという温泉に向かうため箱根にやってきた。

普段は緑の作業着を着ている有野だが、今回は薄紫の作業着だった。

有野課長
有野課長

今日は普段着です。

レトロゲームを訪ねる有野の一人旅。

まずは、湯元駅前を散策。

地元の名産品にも舌鼓。

通りすがりの人々にもちくわを差し出す優しい有野だった。

そして、いよいよお宝ゲームがある宿へ。

最初に訪れたのは、中強羅の駅から徒歩1分。

静かな高台に位置する、純和風の宿「静峰閣照本」

今回所持金5,000円分でゲームを楽しむ有野。

早速ゲームコーナーへ。

すると・・・

いきなり故障。

有野課長
有野課長

温泉んぽいんぁ。

まず、故障やw

たくさん並ぶゲーム筐体に興奮気味の有野。

まず、ギャプラスをプレイする有野。

しかし・・・

なんと弾が出ないという故障。

有野課長
有野課長

ワンハンドゲームやなぁw

記念すべき第1回目の点数は「0点」。

続いて挑戦するのはコナミのタイムパイロット。

以前プレイしたこともあるようで、スムーズに進む。

しかし・・・

音が出なかった。

ここには、ギャプラス、タイムパイロットのほかに、オペレーションサンダーボルトやテトリスなどがあり、宿泊客を別世界へいざなってくれる。

そしてもちろん温泉も。

有野課長
有野課長

こうやってねぇ。

疲れた腕を揉むんですよw

ゲームで疲れた体を芯から癒してくれる、とても温かい温泉だった。

箱根ゲームセンターめぐり2

次に訪れたのは、素朴な風情が今もなお息づく金湯苑(湯本)

ゲームセンターが5階にあると聞いた有野。

早速向かう。

ここ、金湯苑のゲームコーナーは、最上階のフロアに位置し、見晴らしも最高。

ギャラガからぷよぷよまで、幅広い年代のゲーム出会える。

まずは、歴史を感じる筐体に惹かれ、ギャラガをプレイ。

続いて有野が目をつけたのが「はっぴーぴえろ」。

ゲームセンターCXファンには今やおなじみの因縁のゲームだ。

実はこの回がぱっぴーぴえろとの初対決。

下から上がってきたピンポン玉を上手く操作し、高得点の穴に入れる景品ゲーム。

300点で景品がもらえるとあって、はりきる有野。

このゲームの初挑戦は、285点。

しかし、中々上手くいかない。

2回目の挑戦は290点。

有野課長
有野課長

くっそー

絶対ほしいこの景品!!

そして、3回目のトライ!!

295点と惜しい。

こうして、思わぬゲームにのめり込んでしまうのも温泉ゲームの醍醐味。

結局1200円つぎ込んだが、景品ゲットできず。

惜しくも300点に届かなかった有野。

気になってメーカーを確認。

有野課長
有野課長

NMK?

知らんわぁ~w

箱根登山鉄道に乗り次の旅館を目指す。

車内では景色にも目をくれず、ひたすらゲーム。

次に訪れたのは、734名収容できる、箱根湯元最大のホテル、ホテルおかだ。

ここにもたくさんのゲームが並んでいた。

そんな中、有野が真っ先に注目したのが・・・

大空を駆け巡る、爽快感抜群のプロップサイクル(ナムコ)に挑戦。

しかし、有野は悪戦苦闘の様子。

すぐさまゲームオーバーに。

続いて挑戦したのは景品ゲーム、冒険宝島。

罠や仕掛けを上手く潜り抜け、ボールを上手く上まで運んでいくゲーム。

ここまで、景品ゲームで何一つ獲得していない有野。

さらに再び登場のはっぴーぴえろでも景品獲得ならず。

そして、ゲームセンターでよく見かけるこのゲームでも結局景品を獲得することはできなかった。

100円をあっさり取られてしまった有野はメーカーを確認。

すると、やっぱりNMKだった。

景品ゲームも豊富なホテルおかだ。

家族連れの方にも楽しめる旅館だった。

この旅、もう一つの楽しみはやはり温泉。

ホテルおかだには、5本の天然温泉があり、湧き出てくる湯のさざなみに身を任せ、ゆったりとくつろげるのが魅力。

有野課長
有野課長

ええなぁ。

こんな番組やりたかったなぁ。

ゲームして温泉入って、なんや食うような番組なぁ。

もちろん料理も豪華絢爛。

人気のフルコースは海の幸から山の幸までを豪華に使ったメニュー。

この日は、スタッフと共に、安らぎのひと時を過ごした。

箱根ゲームセンターめぐり3

せっかくきたので芦ノ湖で遊覧船に乗ろうとした有野だったが、残念ながら濃霧のため断念。

有野課長
有野課長

これは、ゲームセンターの神様が遊覧してる場合やないやろ!!

お前はゲームせんかい!って言うてると思うので、遊覧せずに次のゲームに行きたいと思います。

箱根に来た思い出に、記念メダルを作ることに。

大雨の中、この日最初に訪れたのは、戦国原にある温泉旅館、仙郷楼。

ギャラガが最初に目に付いた有野。

他にも麻雀やパチンコ、スロット台といった大人向けのゲームが目立つ。

まずは、特別がっちり固定された1943に挑戦する有野。

有野は一心不乱にゲームをプレイした。

ロビー横にある仙郷楼のゲームコーナーは気軽に楽しめることで人気。

箱根ケーブルカーに乗り、次へと移動する有野。

続いては、落ち着いた雰囲気が人気の宿、みたけ。

今までの筐体機が並ぶゲームコーナーに比べ、テレビとハードが接続された環境に思わず有野は・・・

有野課長
有野課長

家やんw

最初に挑戦したのは、パチンコ風のゲーム、トップボール。

10円で玉はわずか7個だったが、有野はコツをつかみ、長いこと遊べた。

続いて有野が挑んだのはフェニックス。

あまり見ないゲームだが、果たして?

有野、正座スタイルで挑むも、やっぱりシューティングは苦手だった。

まるで、自宅にゲーム機があるような、一味違った楽しみ方ができるゲームコーナーだった。

箱根ゲームセンターめぐり4

今回のホテルにはゴンドラを利用して行く必要があった。

そこで、有野も乗車。

そして、到着したのは晴遊閣大和屋ホテル。

スティービーワンダーも泊まったことのあるこのホテルは、信じられないお宝ゲームが待っていた。

今ではほとんど見られない、ポパイの筐体機。

慣れないレバー操作に最初は苦戦していた有野だが、徐々に勘を取り戻した様子。

次にプレイしたのは、デパートなどでよく見かけた景品ゲーム、おしゃべりオウム。

惜しいところで景品ゲットならず。

その後も挑戦し続けるが中々上手くいかない。

そこへ、スタッフからも10円のカンパが。

しかし、結局最後まで景品を獲得することはできなかった。

都会では見ることのできなくなった古いゲームもこういった旅館ではまだまだ現役だったりする。

前日の夜は、スタッフ全員による、大ゲーム大会が夜中の4時まで行われていたという。

有野課長
有野課長

みんなゲーム大好きやなぁ!

そして、楽しいたびもいよいよ終り。

有野課長
有野課長

今大涌谷に来ております。

本当なら、後ろには富士山が見えていたはずなんですが、あいにくの天気で、風がものすごいことになっています。

以上現場からでした。

有野課長
有野課長

晴れていたら、こんな写真のような素敵な景色が見えていたはずなんですが、あいにくの天気で見れないようです。

それもこれも、ゲームセンターの神様のおかげだと思います。

お前は景色を見るな、ゲームの画面を見ろといわれているようでした。

NMKとか景品ゲームっていうのも結構おもしろいってのがわかりましたね。

最後もう1個NMKがあるみたいなんで、コレやっていきたいと思います。

スーパーマリオ2に挑戦

ゲームセンターCX第10回の任天堂のときにスーパーマリオ2に挑戦した有野。

エンディング画面間近の最終局面で、大きな壁にぶつかった。

それは8-2「つる出し」である。

攻略に苦しみ、残り3機となったところで、スタッフを集め緊急会議。

試行錯誤の上、1つの突破口を見出した。

そして、見事成功。

至福のときを味わった。

しかし・・・

ゴール寸前で痛恨のミス。

精も根も尽き果てた有野は、ここでギブアップしたのだった。

そこで、スペシャルの今回にリベンジを誓う。

https://gccx.xyz/season1/nintendou/

挑戦前に有野から

有野課長
有野課長

メールの方で、「エンディングを見せんかい。」「どこまで中途半端やねん」などのお便りをたくさんいただいてですねぇ。

「今回最後まで見せようやないかい」とスタッフに言われて、会議室を朝まで押さえているようです。

だから、やってみたいと思います。

スーパーマリオブラザーズ2。

シリーズの中でも最も難しいと言われ、前回有野も苦労の連続。

無限増殖で127機まで増やしたマリオも、13時間に及ぶ格闘の末、全て使い切ってしまった。

果たして今度こそ、エンディング画面を見ることができるのか?

プレイ開始

実に2ヶ月ぶりのプレイ。

しかし、2度目ともあって、無限増殖も難なくクリア。

順調な滑り出しに見えたのだが・・・

攻略ポイントをすっかり忘れていた。

何度もポーズをかけては攻略本を見る。

しかし、攻略本を見て楽に進めるほどスーパーマリオ2は甘くない。

それでも地道に進め、ようやく8-2へ。

そう、そこは前回最大の難所。

苦心の末、奇跡の三角飛びを編み出したあの攻略ポイント。

果たしてあの感覚を覚えているのか?

三角飛びは思い出したものの、高度なテクニックがゆえ技術が伴わない。

そこで、視聴者からの贈り物が。

視聴者からのプレゼント?

それは、もっと簡単なつる出し方法があると撮影したマリオのプレイ動画だった。

なんと、あわせだしの箱に入って送られてきた。

有野課長
有野課長

ちょうどや!!

ビデオ入ってんねやw

番組に送られてきた1本のビデオテープ。

そこにはつる出しの簡単な攻略法が録画されているという。

早速、内容をチェック。

果たしてその攻略法とは?

あまりにもあっけない方法に何度も確認する有野。

マリオをブロックとパタパタの中間地点で最高到するようにジャンプ。

そのタイミングで上昇するパタパタを踏めば、ブロックを叩きつつ着地できるのだ。

そして、その攻略法を送ってくれた秋田一輝君がスタジオに向かっているという。

有野課長
有野課長

なんで?

あわせだしの箱取り返しに?

スーパーマリオブラザーズ2の天才少年。

一体どんな人物なのか?

ゲストの登場

ビデオにあったままをやればいいだけなのだが、中々上手くいかない有野。

そこへ、ドアをノックする音が。

ビデオの投稿者、スーパーマリオ2の天才少年が父、弟を連れて到着。

 

有野、社会人らしく父親と名刺交換。

早速天才少年に、つる出しを依頼。

果たしてその腕前は?

有野が、何時間くらいでこのゲームをクリアできるのか聞いてみたところ、1時間でクリアできるとあっさり答えた天才少年。

そして、いとも簡単につる出し成功。

有野がゴール目前で涙を飲んだ場所も、楽々クリア。

放送を見ていたという天才少年に、有野は自身のプレイがどうだったか聞いてみる。

するとまあまあと笑いを誘った天才少年。

有野とくだらない話をしている中でもものすごい速さで進んでいく天才少年。

有野課長
有野課長

毒のありかとか知ってんねんなぁw

あらゆるテクニックを披露し、8-3も楽々クリア。

いよいよ8-4だが、ここで天才少年一輝君、思わぬ行動に。

有野にワープを利用したか聞いた一輝君、ワープを使ったとしり、なんと、有野に聞きもせずリセットしたのだ。

ワープを使わずにクリアしようと思ったらしい。

有野課長
有野課長

リセットする前に言うてw

勝手に消すなよと嘆く有野だった。

そして、有野の挑戦は振り出しに戻る。

気を取り直して再挑戦

有野課長
有野課長

さぁっ

今日は、兵庫県からお越しの秋田さん一家と、スーパーマリオブラザーズ2で楽しみたいと思います。

天才少年と共にワープなしでクリアを目指す。

すぐさま無限増殖成功。

プレイに集中している一輝君を尻目に、無駄話で邪魔をする有野と家族。

気が散る状況にも関わらずあっという間にクリアしていく一輝君。

その後も様々な裏技を使いながら、淡々と進んでいく天才少年一輝君。

裏技の知識も披露してくれた。

わずか30分で5-2へ。

そこへ有野が・・・

有野課長
有野課長

1機やらして!!

久々に言うたわ。

ここで有野が挑戦。

しかし・・・

すぐさま穴へ。

有野続けてプレイするが、全く進めず時間のロス。

やはり頼みの綱は天才少年。

その後もマリオを自由自在に操り、なんとここまでノーミスで進んでいた。

有野クッパ目前、クリア確実の状況でなんと、「ここからやらして」。

茶番が起きた。

そして、例のつる出しポイント。

ここも有野が挑戦してみることに。

今回はプレッシャーがないからか、あっさり成功。

有野課長
有野課長

こんな簡単だったんや!

ここからは、再び天才少年にスイッチ。

難なくクリア。

いよいよ最終?8-4へ。

いよいよ最終局面へ

ここからはもちろん有野が挑戦。

いきなり難所。

しかし、天才少年の冷静なアドバイスでここを突破。

最後の面だけでも自分の力でクリアしたいと、有野は続けて挑戦するが、一向に進めない。

しかたなく、天才少年にバトンタッチ。

緻密な計算と豊富な経験により完成されたテクニックはもはや芸術。

一息つくことも無く、クッパの前まで到着。

エンディングは自分の力でと、クッパ打倒に有野が挑む。

前回の挑戦から、ロケ合計17時間。

いよいよ最後の戦い。

果たして、有野の運命は?

有野課長
有野課長

やぁー!

できたー!

ついに念願のエンディング画面公開。

有野課長
有野課長

なんて言うてんねやろ?

全然わからんけど。

衝撃のラスト

すると、ここで新幹線の時間ということもあり秋田一家が帰ることに。

秋田一家を見送ろうとしたそのとき・・・

有野課長
有野課長

ん?

なにこれ?

なんとスーパーマリオ2には9面が存在した。

仕方なく、有野一人で挑戦することに。

今までに比べ、穏やかなステージが続く。

しかし・・・

有野課長
有野課長

いやぁ~

スペシャルやけど良いとこ見せられんかったなぁ。

帰ってポケモンやろ。

クリエイター名言

「人生そのもの」

動画を見るには?

DVD/CDの宅配レンタル【TSUTAYA DISCAS】 今なら無料でお試し!「ゲオ宅配レンタル」

ゲームセンターCXはFODでも配信中。
フジテレビの動画見放題サイトはこちらから

有野のまとめ

有野課長
有野課長

さぁ、今回はスペシャルということで、ポケモンを作った男、田尻智さんに会いました。

クリエイターとして大事なことは2つ好きなものを持っていることっていってましたけど。

田尻さんで言うと「昆虫」と「ゲーム」。

僕で言うたら、「アイドル」と「漫画」と「ゲーム」。

「笑い」は入ってないんですね。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました